「できる」と「できない」のあいだに

赤ちゃんの発達

保健師になりたての頃、乳幼児健診では「積み木を何個積めるか」とか、「丸が描けるか」とか、とにかく「できる」か「できない」かの判定をする基準を頭に叩き込むことに精一杯でした。

なのでもちろん、乳幼児さんに対する見方も「できてるか」「できてないか」でした。

その後、私は発達支援センターの配属になり、外部の相談員の先生が健診についてレクチャーしてくださる機会がありました。

健診は「できる」か「できないか」だけをみるのではないよ。

たとえできなくても、そこにどんな子どもの姿があるのかをみるんだよ。

そう先生に言われたのを今でも鮮明に覚えています。
そして、私はこのことを大切にしようと今も心に誓っています。

これを機に、私の子どもたちへのまなざしは大きく変化していきました。
すると、それまでは見えなかった、見ようとしていなかった子どもたちの姿が見えるようになりました。

できなくても何度も果敢にチャレンジする姿。

一度心が折れてしまったけど、親御さんや私からの声かけで気を取り直す姿。

できた時にドヤ顔してくれる姿。

などなど。

本当に子どもたち一人ひとりが個性豊かで可愛くて、健診の場面だけど、心の中では「頑張れ!頑張れ!」と言っていつも応援しています。

「子どもの育ちを応援する」

むぎゅハウスのテーマは、そんなきっかけからも生まれたように思います。

先日、寝返りについての記事を書きましたが、あの書き方だと「寝返りは左右両方できなければならない」というように受け取られることもあるかもしれないと思いました。

でも、私が伝えたいのはそんなことではありません。
ということで、一旦非公開にさせていただきましたm(_)m
また、再編集してお届けできたらと思っていますが、まだ明確には考えが固まっていません(^_^;)

「寝返り」ひとつをとっても、寝返りをしない子もいるし、どんな寝返りをしているかも一人ひとり違います。

「できる」ことにこだわることで時に親御さんを追い詰めてしまうこともあります。

赤ちゃんの発達をどのように伝えることが、保健師、親御さん、赤ちゃんにとって「心地よくちょうどいい」のだろうと考え込んでいました。

答えはまだ出ません。
一人ひとり違うんだろうと思います。

お互いのちょうどいいを探るために、対話が大切なのだろうと思います。

「できなくても大丈夫」「元気だったらそれでいい」というところから、もう一歩だけ踏み出して、赤ちゃんや子どもたちが「できるようになりたい」という願いを叶えたり、「無理したらできる」ところの「無理」をわかってあげられたり、たとえできなくても他の方法で、例えば寝返りの動きを経験できないかと考えてみたり、、

そこまでして赤ちゃんの発達って大事なの?って、
そんなにこだわらなくてもいいじゃないって、
思われるかもしれないけれど、、

その辺はお互いが「心地よくちょうどいい」ところを見つけていけたらいいのだと思う。

ネット上に子育ての情報がたくさんあふれている中で、むぎゅハウスの記事もまた、親御さんにとって混乱を招いたり、追い詰めてしまったりすることはないのだろうかと考えていました。

記事を読んでどう活用されるかは、読んでくださった方にお任せするしかないのだけど、あまりにもいろいろな情報があるので、少し立ち止まって考えていました。

記事を書かないという選択肢もあるのだけれど、まずは私が赤ちゃんの発達についてお話させていただく前提として、どんな考えでいるのかを記しておこうと思いました。

まだまだそんなにアクセスは多くないのだけれど(;’∀’)
気にしいのたかまつなので、今後とも懲りずによろしくお願いいたします(^_^;)

コメント